うぐいす坂(女坂)

うぐいす坂(女坂)の途中ぬぼこ山本宮の鳥居と満開のヤマザクラの風景
うぐいす坂(女坂)の上からの風景
 

坂名の由来

うぐいす坂(女坂)は、1991年に住民公募により命名された坂の一つです。
うぐいす坂(女坂)の由来は、「この周辺が鶯谷(うぐいすだに)と呼ばれていたから」「(高尾山のように)険しい方なら男坂、なだらかな方なら女坂」という意見からです。
なお現在も町内会の、この周辺の支部名は「鶯谷」です。
【玉川学園町内会 地区分けと支部】
 
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坂インフォメーション 名称:うぐいす坂(女坂) うぐいすざか(おんなざか) 緯度経度:始点E139.464552N35.564762/終点E139.465400N35.564125 アクセス:小田急線 玉川学園駅から徒歩3分
 

うぐいす坂(女坂)の特徴、見どころ

玉川学園正門近くの踏切の前から、尾根道へとなだらかにのびる、まっすぐの坂道です。
坂を上った一角には、瓊宝庫山本宮(ぬぼこやまほんぐう)があります。
ちなみに「瓊宝庫山」とは、遷宮される前の吉備石上神宮が「抜剣山(ぬぼこやま)本宮」と称されており、それを万葉仮名にしたもの、と伝えられています。
社殿が造営され祭祀が中興されたのが1933年のことで、小原國芳先生による玉川学園の創立が1929年であることから、この地域における歴史も非常に長いことがわかります。
【神社人 瓊宝庫山本宮】
正月には地元の参拝客でにぎわいます
 
また、女坂を上った先の尾根道には、作家の赤瀬川原平先生が、1997年から亡くなるまでお住みになったご自宅「ニラハウス」(藤森照信先生が設計し、その年の日本芸術大賞を受賞した建物)があります。
【赤瀬川原平先生について詳しく知りたい方はこちら】
(町田市HP/町田市民文学館・町田ゆかりの作家たち)
 
 

坂の道標

ぬぼこ山の参道脇の敷地内に設置されています
 
【協力】玉川学園・南大谷地区協議会